午後、君といつもの階段で。

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AZuki

一段目 雪、空気

1

 さて、後輩が人形のように、緊張した様子で目の前に座っている。
 そして、彼女はおそらく、学校で上から一ケタ位に入るほどには、かわいい。
 というのが、今、現在の牧田の考えで。
 おそらく、その思考は世間一般とそれほどまでズレのないものであるはずだと、牧田は認識していたし、事実として、『彼女』は教師、生徒ともから次のような評価を受けていた。
 美人で、品行方正、成績優秀。
 絵に描いたような優等生である。が、牧田にはどこからどこまでが真実かなんて知る術は無かったから、それが単なる噂話なのか、事実であるのかは、判断しかねた。
 それに関しては一旦、棚に上げておくとする。
 そんな彼女がいま、牧田の目の前にいる。そんなことが当然のように存在するのだから世の中はどこかネジが外れているというか、歪んでいる、と牧田は思う。
 こんなことが起こった、取りあえずの問題は、今朝にあるようで。思い当たる節も、勿論あった。
 と、牧田が視線を当て過ぎたのか、どうか。後輩のどこか不満げにチラリと見た視線と、その瞬間の意図せずの上目遣いに、牧田は分かりやすく目を逸らしながら、心の中で鼻の下を紅く染め上げて悶絶していた事は言うまでもない。

2

 牧田がふと、靴箱から何か飛び出したように感じたのは、関東で、数年ぶりの大雪の降った朝、学校の昇降口での事だった。
――紙だ。
 とっさに手を伸ばして、羽毛の如くはらりと地面に降り立ったそれを手でつまんで拾い上げる。
 それは、いかにも裏紙といった体で、舞った弾みで雪解け水に浸かって湿ってしまっていた。そのうえ、水性インクで書かれたであろう文字は滲み、読みづらい事この上なかったが、一瞥したところ。
――果たし状。

 河曲 六花かわの りつか
 その名を聞いてなにも思い当たらない、などということは、到底有り得るような事ではない。少なくとも、この学校内では。
 但し、牧田の場合は少々、特殊であった。噂には聞くものの、所詮は唯の噂話の一人歩きだろうと考えていたのだ。当然のごとく何も知らなかった巻田は、今朝、大至急、信頼ある友人に写真の取り寄せと、情報提供を頼みこみ、事前に河曲に対する、校内での最低限水準の知識はインプットしてきたのである。
 学校一の優等生。
 それが河曲につけられたらレッテルだそうで。
「んで、何故(なにゆえ)に果たし状?」
 指定された場所はといえば、校内にある階段だった。
 いかにも人気のなさそうな、古びれて、妖しい階段なのかと思い足を運んだ所、百聞は一見にしかずで、待ち合わせ場所が予想に反して明るく解放的な空間であったことに、まず牧田は軽く衝撃を覚えた。
 というのも、ここが校内で噂のお化けが出る階段であり、誰がうまいこと言ったものか『学校の怪談』と呼ばれ、入学直後の話のタネ程度になっていたという前提があっての話ではあるのだが。
「ええと……それは何と言いますか、すみませんでした」
 河曲はそう言って、少し困ったふうに視線を窓の外の雪へと向けた。少しおどおどとした話し方からして、人見知りなのだろう。そして、文面にすると、少々はっちゃけてしまうタイプ。もしくは、緊張しい。かくいう牧田もそこのあたりの経験は苦いほどあったので、河曲の大方の心情は察せた。
――つまり、穴があったら入りたい。
「いや、気にすんな。意外と楽しかったし。それに場所も場所だしさ」
「そう……ですか?」
 歯切れの悪い言葉ともに、中途半端に安堵したような顔で、今度は床と睨めっこを始める。ただ、ニコリともせずに、表情を欠いたまま。
 例の果たし状はといえば、女の子らしい、丸っこくて、可愛らしい文字で『果たし状』と書いてあり、ギャップという物に、思わず笑みを浮かべた事は、事実であったので、嘘をついた事にはなるまい。
 しかし、牧田の前で黙られてしまっては、埒があかないのだった。元来、牧田はあまり会話に関してあまり器用な方でない。
 先程の河曲のように、窓の外へと目を向けた。凍てつくほどに冷え切ったガラスからは淡く光を照り返し、軽やかに地へと降り積もる雪。音もなく、風に弄ばれ舞い上がる事もせずにただしんしんとその厚みを増している。冷たく、凍てついたように静かなそれは、どこか気まずさと似た面影を映していた。
 牧田が、沈黙を破るしかないようだった。
「続き、お願いできる?」
「はい……先輩、それなのですが……」
 タイミングを伺っていたのかどうか。河曲は、直ぐに口を開いた。それから、まっすぐ息を吸った。
 次の瞬間、河曲は一呼吸置いて、けじめをつけるように言い放った。
「私の不手際で、先輩に危害が及びそうなんです」
 そう言ってから、控えめに「すみません」と呟くと、それからは彼女なりに俯いたようにして、牧田の返答を待っているようだった。申し訳なさそうな表情にいたたまれなくなった牧田は、目を逸らして窓の外を見るも、相変わらずの雪だった。状況は何一つだって変化していない。
 言うべき事は決まっていた。
 牧田は、この件にについてまだ、何も知らない。
「説明、お願い」
「ええ、分かりました」
 予想していて当然かのようにそう言って、河曲は、言語というパーツを積み上げるように、慎重に、言葉を選びながら語り出した。
 さながら、もしも失敗をしでかしたならば、全ての言葉パーツが崩れ落ちてしまうのだとでもいったふうに。

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